2014年9月3日水曜日

八広を歩く そして 触れる (2014/9/2)

八広を囲む曳舟川通り、明治通り、中居堀通りを歩く。

曳舟川通りは、その名前のとおり昔は川が流れていたが、昭和29年頃から埋め立てられ、その面影は名前として残りました。そして今は小学校や特別支援学校がある場所は原っぱとミツワ石鹸工場があったそうです。今の地図に昔あったものを書き込んで、そして歩いてみる。そうすると不思議に今はただの道なのにそのちょっとしたカーブは川の流れで出来上がった自然な形のように見えてくるし、学校のグラウンドは昔のこどもたちも遊んだ原っぱに見えてくるから不思議。


ここは明治通りと中居堀通りがぶつかっている三角地帯。この三角の内側が八広です。

そして、3月もインタビューさせていただいた町工場を経営されている吉成さんと再びお話。色々お話していくうちに、お互いの好きな曲を聞かせ合う会に発展。吉成さんはレコードで、私はiPhoneで、お互い少し自分の好きな曲を紹介するのですが、これが少し恥ずかしい。吉成さんにはガンガン好きな曲聴かせてくださいよーと言っていた自分もいざ自分の番になるとモジモジ。 きっとたくさんたくさん話すより、自分のことを知られてしまうようなそんな気持ちがするからでしょうか。吉成さんの青春時代(70年代)の歌がとても素敵で、そして先日実家に帰った際にも70年代の装苑(雑誌)を見つけて、すごい新しいと思ったことを思い出しました。吉成さんはいまの若い人が70年代にいたらとても刺激的なんじゃないかとおっしゃっていました。たしかに。私も行ってみたい。


そしてその後迂闊にも腹痛を起こした私を、車で友人の家まで送ってくださいました。そのとき、
なんだか八広の道が急に自分の地元の道のように感じました。またひとつあの感覚をとっておけるなら形にして残しておきたいと思った2014年9月2日。
吉成さん、本当にありがとうございました。

プロジェクトを通じて出逢えること、知ることのなかった音楽や色んなことを知れることが私たちの仕事のとても大きな財産と思います。

八広という地名は「八方広がり」を縁語として、町がより一層発展するように名付けられたものだそうです。そんな八広で、自分ができることはほんとに一瞬でとても小さなことだけど、何かを残したいと思いました。

リサーチ、制作は続きます。

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